お通夜に行ってきました。
夜8時半過ぎに葬儀場に着きました。
2階に上がると控室に喪主である友人の長女さんがいました。
何度か会ったことがあったので、すぐ私を認識してくれて彼女のいる部屋に案内してくれました。
そこには彼女のお孫さん3人を含め、ご親戚の皆さんだけではなく長女さんの友人などもいらっしゃって、賑やかな雰囲気でした。
湿っぽいのは嫌だったので、あえて賑やかに送ってあげたいというご家族の意向がそこにありました。
棺の中の彼女との対面は、想像していたのとは違って大変穏やか表情で驚きました。
苦しまずにスーッと息位を引き取ったと聞きましたが、今まで痛みと闘っていたので痛みから解放されて楽になったのだろうと思いました。
食道がんの末期で最後は食事ができず、点滴もできなかったそうです。
痩せてはいましたが、娘さんが綺麗にお化粧をしてくれていたのがとても印象的でした。
会えたら色々言いたかったことがたくさんありましたが、今までありがとうと言いました。
本当によく頑張ったね。
娘さんに初めて病気の経過を聞くことができました。
4年前に食道がんが見つかっていたそうです。
しかしながら、そのことを誰にも言っていなかったこともわかりました。
娘さん達はもちろん、仕事のパートナーにも、もちろん私にも・・・。
なんで誰にも言わなかったのだろうと、疑問が湧きました。
私だったら一人で受け止めることなんてできず、絶対大騒ぎしてしまうだろうと。
強い人だったんだなって。。。
でも娘さんは逆のことを言いました。
「弱い部分も持ち合わせていたから受け止められなくて、誰にも言わなかったのだと思う。」
余命宣告3〜4ヶ月と言われた時は、本当に狼狽えていたそうです。
その頃会っていますが、私には前向きにことしか言っていませんでしたから、自分を鼓舞していたのかもしれません。
気づいてあげられなかった事が、本当に辛いです。
一人で抱え込んでいたのだとわかったから、何でその辛さを吐き出してくれなかったのかって、私をもっと必要としてくれたら良かったのに・・・。
あなたは強い人だったと思う。
昔よく行っていたグアムにもう一度行きたいと望んだけど体力的に無理だったから、沖縄に家族旅行に行ってきたと聞きました。
車椅子だったけど行けて良かったね。
娘さんも親孝行ができて喜んでいました。
たまにはわがまま言っても良かったんだよ。
もっと私にもわがまま言って欲しかった。
私はあなたの分まで生きますね。
最後に娘さんにお願いをしてきました。
「私に何か形見分けにください。」と。
あなたと一緒にこれからも頑張るために・・・。
天国でこれからも私を応援して見守ってください。
寂しいけどお別れです。
安らかにおやすみくださいね。
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